献血ルーム - 東京や大阪で献血!

日本は輸血用血液は全て献血で賄うことになっていますが、血液製剤は輸入に頼っているものがあります。安全な輸血に向けて売血を禁止するなどの取り組みがされてきましたが、献血ルームは今後大きな役割を担うことが期待できます。

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輸血用血液は足りているの?

手術や事故などで大怪我をしたときに必要となる輸血は生死に関わる緊急事態です。そのような時に輸血に必要な血液がなかったら大変ですね。

現在の日本では、輸血用の血液が十分足りているのでしょうか?

輸血用の血液は全て献血で賄われていますが、国内で製造するのが困難な血液製剤は輸入に頼っているのが現状のようです。

外国からの輸入血液製剤は、アメリカでさえ売血を使っているものが多いですから、輸血を通じて他の感染症に感染する可能性は否定できません。

輸血により多くの国民がHIV(エイズ)やC型肝炎に感染した事実を重く受け止めて、一日も早く血液製剤必要量の全量を献血で賄えるようになって欲しいものです。

それにしても、良いことだと思いますが日本の献血者の条件は厳しいですね。少しは役にたつかなと思って、2年程前に日赤の献血募集をしていたテントへ行って献血の登録をしようとしましたら、以前ロンドンに2ヶ月程滞在したことがあるため、BSE(狂牛病)の関係で献血者としての資格がないことが判明し、がっかりしたことがあります。

日本の献血制度の歴史

日本における輸血用血液は商業血液銀行が繁盛し、日赤の献血者は極めて少なかったため、1968年までは売血が使われておりました。売血制度が廃止になりましたのが1969年でそのきっかけになりましたのが「ライシャワー事件」でした。

1964年のことですが、親日家で米国の駐日大使だったライシャワー氏が刺されて、手術を受ける事態になり、その時の輸血が原因で、現在も騒がれておりますC型肝炎に感染するという事件が起きました。

この事件を契機に、同じ年の1964年に「輸血用血液は献血で行う」という方針を政府が決定して、1968年に売血による輸血用血液の製造が終了しました。売血が認められていた時代は、自分の血を売って生活費を稼がなければならない人がいたりして、社会問題化したことをうろ覚えながら頭の中に記録されております。

また、売血された血液の検査も不十分で、輸血でC型肝炎になることが常識のように思われていた時代でもありました。私の大先輩が結核の手術で輸血を受け、結核は治ったのですが輸血で感染したC型肝炎の症状が日ごとに悪化し、全身が黄色がかってやせ細っていくのを目の当たりにして、輸血による感染の恐さを知りました。結局手術して3年後に亡くなられました。

進化する献血ルーム

1969年に輸血用血液を全て献血で補うことになってから日赤(日本赤十字社)は血液の確保に大変な苦労をしたようです。

移動献血車を配置して街頭で献血を呼びかけたり、催しものがあればその会場に出かけて来場者に献血してもらったり努力はしておりましたが、十分な量は確保できず、血液が不足して危機的な状況になっていることが新聞などでも報道されたことを記憶しております。

しかし、全国67箇所に血液センターの設置をして基盤を整え、その後地域に密着した献血ルームを次々に設置して、地域単位で献血に取組んだことから、現在はかなりの効果をあげているように見受けられます。

半官半民のような日赤はどちらかというと腰が重い組織と言われておりましたが、献血ルームのアイディアは良かったと思います。

献血ルームは地域に密着していることと、それぞれの献血ルームが競ってアイディアを出し、若い人などを献血ルームに誘導する姿勢が窺えます。ある献血ルームではリラクゼーションができたり、他の献血ルームでは手相やタロットの占いが行われたりしているようです。

遊び感覚で若い人たちを始め多くの人が地域にある献血ルームに来てくれるようになれば、献血は勿論のこと、献血者の健康チェックや健康教育も気軽にできるようになります。

献血だけをするお堅い献血ルームではなく、地域の人たちが気軽に立ち寄れて交流を図りながら健康について知識を得たり、リラックスする中で献血ができるような献血ルームが増えていくことを望みたいと思います。

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